エジプトが発祥の地とされるベリーダンスの起源は古く、
出産時の痛みを和らげるために女性達がおなかをくねらせたことから始まったと言われています。
後に王宮やハレムで上流舞踊として発展し、現在では「幸せを呼び込む舞」として結婚式やお祝いの場などで踊られています。
また、美容と健康志向から世界中に広まり、ここ日本でもシーンが確立されつつあります。
このページでは、そんなベリーダンスの魅力について説明させていただきます。
自分への気づきと女性であることの喜びを表現できる唯一無二のダンスです。
ゆっくりと上半身と下半身を別々に動かすことによりコアマッスルが鍛えられ、内臓脂肪が付きににくくなります。
ダンス時に流す汗は最高のデトックス。骨盤矯正や腰痛への効果も期待できます。
下半身の激しいムーブメントにより女性ホルモンが刺激され、婦人科の改善にも繋がると言われています。

- ベリーダンスの動きは内臓にも働きかけることで体脂肪を減らす効果が期待できます。自分自身が兼ね備えたボディラインへと導きます。

- 「子宮の踊り」とも呼ばれるベリーダンス。女性ホルモンに働きかけることによって、より女性らしい内面へと導きます。

- 古代エジプトから受け継がれ、クレオパトラも踊ったと言われるベリーダンス。
現在においてもその魅力は多くの女性を魅了し、今尚、神秘的なオーラを放ちます。

- 普段とは全く違うアラビアンメイクで、きらびやかなコスチュームをまとい非現実的なひとときを体験できます。
ベリーダンスには様々な種類があります。
エジプト、トルコ、ドバイ等の中近東で踊り継がれ、近年ではアメリカでも女性の魅力を表現できるダンスとして注目され、各々の地で独自の進化を遂げました。
その結果リズム・ムーブメント・衣装もそれぞれ異なり、多種多様なスタイルが生みだされ、各々のスタイルの文化的背景も伺えます。
それもまた一つの魅力となっています。
特筆すべきは、そのスタイルは現在でも派生し続けていることです。
「古典」舞踊ではなく、生活や文化に根付いた表現方法と融合していくことでベリーダンスは今尚発展しているのです。
今からベリーダンスを初めようと思っているあなたが、新しいスタイルを作るかもしれません。
それもまた多くの愛好者を生むベリーダンスの魅力なのです!

- 一般的には、比較的歴史が長く表情豊かで煌びやかな衣装を身にまとい、ソロで踊るイメージが強いのはオリエンタルスタイルのベリーダンス。表情を抑えて彩度を落とした衣装を身にまとい、団体で踊るイメージが強いのがトライバル(フュージュン)スタイルのベリーダンスという印象が強いと思います。
ただ、近年ではヨーロッパ舞踊の影響が色濃いターキッシュスタイル、他ジャンルのダンスと融合しつつ進化するトライバルフュージョンスタイルと、一概にジャンル分けできないスタイルもあり、今後も進化・発展していくでしょう。
下の例はこれからベリーダンスを始めるという方にまずどのジャンルから始めるかの参考になればと、簡単ですがジャンル分けと特徴を書いてみました。動画とともに見ていただけると違いがわかると思います。

各説明はサハラ サイーダ氏やスヘール カスパー氏の講義をはじめ、各専門のかたによるお話とYukimiの見解をまとめた簡単なものですがこれからはじめるかた、また長年されてきたかたにも理解が深まるようまとめてみました。
またこのような歴史は先生により見解が異なってきます。
沢山の情報を集め、それをパズルのように組み立て自分で整理していくことが大事だとサハラ サイーダ氏が教えてくれました。
そのパズルの1つとして参考にして頂けたら幸いです。


2021年更新〜
ガワジー...身分が低く外で踊るダンサー。
エジプシャンジプシー寄りのダンスでサィーディー地方に近い。
アワリム...カイロで活動し雇われ、職業としてのパフォーマンスをしていた。
よく間違えられるバラディのダンスはガワジーではなくアワリムの雰囲気に近い。カイロを感じながら踊る。以前の情報〜
エジプトでダンスを生業としていたジプシーのこと。
インド ラジャスターンで発祥したジプシーは東には移動せず西へ移動していった。
インド北〜メソポタミア〜コーカサスを通り、現在のトルコ、スペイン、エジプトなどに辿りつく。
トルコではそのようなジプシーをロマと呼び、エジプトではダンスを生業としたジプシーをガワージーと呼んだ。
ガワージーは身分が低く、外で踊るダンサー。
一方アワリムと呼ばれたダンサーは教養があり家の中など隔離された所で踊るダンサーとして1700〜1800年代に活躍した。
このようにダンサーにも階級があったが1830年代モハメド アリの厳しい政策によりダンサー達はいったんちりぢりになる。
その後、政策がゆるみダンサーが帰ってきたころには階級などの区別が難しくなったことからダンスを生業をする者を総称してアワリムと呼ぶようになった。しかしダンスではガワージーとして呼ぶことが多くその背景として”ビナット マジン(マジンスィスター)”の影響が強いと考える。
ビナット マジンはガワージー出身で初めて‘見せるためのダンス’を披露し工夫したといわれている。
例えばガワージーは家着で踊られていたが、衣装を身につける、服をチェンジするといった具合。フォーメーションなどのキューだしは後にATSに取り入れられる。
このガワージーダンスが現在のベリーダンス、ラクスシャルキの礎となった、という説もある。
オリエンタルダンスで踊られるガワージーは2つにわけられることがある。
ナイルデルタスタイルガワージー(衣装はツーピース)とサィーディスタイルガワージー(衣装はワンピース)

2021年更新〜
一般の人や物を指すわけではなくカイロの産物からなるものを指す。
カイロの特定の共同社会のことでバラディエリア、バラディフード、バラディピープル、バラディマナーなどハイソサエティではないその地域の言い回し=Life style.バラディで特徴的なのはその音楽構成である。
TAXIM→AWADI(パートのことでアワーディダンスのことではない)(必ずタブラから始まりタブラとアコーディオンのCall&Response)→マスムーディサギールー、マクスームなど。少しテンポが早くなる。→ファラーヒーなど更にテンポが早くなる→イングラーラなど更に早くなる→ENDこのシンプルな構成にあてはまらないものはバラディタブロと呼ばれ歌始まりのもの、歌が途中にあるもの、ドラムソロで終わるものなどある。
例えばFifi Abdoのシーシャタブラが有名。TETと呼ばれるパートもまたバラディならではである (声でタララ~と口ずさむようにこのパートをアコーディオンでティティティと演奏することからTETと呼ばれるようになった)
踊り方〜
バラディは特別な特定されたフィーリングとマナーで成り立つ。
そのフィーリングはアコーディオンによるもの。
Feeling→アコーディオンでとる。
Accent→タブラ(ヒップ)でとる。
バラディのアコーディオンムーブメントはお腹からHAPPYがわきでるイメージ(アンジュレーションやヒップサークル)。床とのコネクションが大事。
SADやSEXYの感情ではなくバラディのキーワードはHAPPYであること。バラディはバラディの人達の為に踊られ本来はソロで即興で踊るが現在ではフェスティバルやコンペティションなどが発展したためグループで踊られたり振付を作るなどもっと洗練された踊りになった。
メモ...モハメドアリストリートでパフォーマンスをしていたエンターテイメント集団のアワリムはバラディ寄りのダンス(more Cairo)で、ガワジーはサィーディースタイル(Egyptian gypsy)寄りであった。
以前の情報〜
様々な意味をもつ。
ダンスに関してのバラディの定義は難しい。@そもそもの意味は‘母国の…’。
自分の故郷のこと。Aダンスと音楽〜
ベリーダンスで人気のアコーディオンとタブラによるバラディは変化と繰り返しの2つから成る曲の構成が特徴(AWAD BaladiとTET Baladi)。
時には大衆的に、時にはしっとりとみせる人気のジャンルである。Bリズムの名前〜別名マスームーディサギール
バラディミュージックだからリズムがバラディとは限らない。

バラディよりも下町庶民的の意味合いが濃い。
そもそも振り付けで教わるダンスではなく現地のナイトクラブで踊っている若者達のダンスである。
歌詞は風刺的なものもありリアルなエジプト大衆模様が伺える。
そんな歌詞を盛り上げるかのごとく音楽もノリがよく本来は自由に踊るおどりである。
シャービはエジプト人のソウルミュージックでありソウルダンスであるため見せ方やテクニックよりもエジプト人の生活背景や気質、言語を知ることが重要であるといえる。
豆知識として、エジプトのみの独特な地方の音楽がシャービ。
エジプトのみならずアラブ世界の音楽にバラディがある。

アレキサンドリア発祥とされることが多々あるが踊りのルーツとなる歴史はない。
アレキサンドリア女性が使っていたミラーヤという黒布にインスピレーションを受けたレダがショーに発展させた。
よって元となる基礎、昔からあるダンスではなくレダが創作したダンスである。
経緯〜アレキサンドリアやカイロの女性は外出する時、ミラーヤ(黒い布)をコートがわりに着用していた。
またマンディールと呼ばれるポンポンつきのスカーフをまき町を歩いていた。
レダがその姿をみて素敵だと感じダンスに取り入れることにした。
彼女達の様々な布の使い方、フェイスベールをつけてみる、アレキサンドリア女性が頭にまくマンディール、サマードレスに見立てたワンピース、ヒール、などレダはショーに必要な工夫を研究した。
このスタイルをアレキサンドリアやポートサィード、イスマレイヤで披露し好評を博す。
この地で人気が良かったので何度も公演を行った。
そのためかミラーヤ=アレキサンドリア発祥というイメージがついたのかもしれない。
またミラーヤとバンブーティが一緒の演目に組み込まれる背景も地域性が影響していると考えられる。

デルタで農業を営む農夫、農婦。
水を汲む様子などツボをもったダンスをよく目にするがこちらもやはり舞踊団のショースタイル。
実際のファラヒーンのホームスタイルは各世帯により様々であり、時には大きなビッグアサヤを使ったりもする。
ファラヒーンダンスの定義はない。
衣装はダボッとしたネグリジェのようなものに頭は布で隠す。エジプトの農民は身なりで位が分別できる。
服の着方や帽子のかぶりかた、ショールの巻きかたなどで出身地や仕事がわかる。
またデルタ地帯は2種のガワージー、ファラヒーン、バンブーティ、エスカンダラーニー(アレキサンドリアのミラーヤレフ)
のダンスゾーンであるがデルタ地帯は外国人の出入りが激しかった為、ダンスも元からのエジプト、という概念は薄い。

2021年更新〜
上エジプトに関わる形容詞で上エジプト由来のもの(ダンス、音楽、食べ物、男性など)全てサィーディーと表現する。
ダンスのルーツは古くファラオもたしなんだタティーフからとされる。
タティーフは闘いの競技で木の棒を使う剣道のようなイメージである。
また木の棒は畑を耕すなど民にとっては欠かせない生活用具であり、乗馬するときにも活躍した。
このように木の棒は生活に密着していたので踊りにも反映されたと考える。
アサヤのダンスは元々は男性が踊った、といわれるバックグラウンドにはこのように男性がよく使っていたからである。
女性のサィーディーダンスは本来はアサヤはなくシンプルなステップ。
よく間違われるのが男性が木の棒、女性が傘のような柄があるアサヤを使うとされているが正しくはタティーフのように勇ましくみせるときは木の棒、優雅なカイロスタイルではアサヤを使う。
女性でも木の棒タティーフを使い、勇ましく男性用衣装をまとって演じることはできるがあまり好ましいとされない。
タティーフという闘いのダンスが男性の間でたしなわれそれを舞踊団がショーの中で発展させていった。
元々は男性と女性が別々に踊ったがレダ舞踊団が一緒に踊りステップも確立されレダ舞踊団の中で最も人気の高いフォークロアとなった。
同じ動きでも男性はマスキュラー、女性はフェミニンさを表現している。ヘアスタイルについてはよりフォークロリックに見せる場合は三つ編みに布が良いがオリエンタルの一貫でするのであればストレートヘアでもよい。
またオリエンタルやメジャンセでのサィーディーパートは完全なフォークロアではなく雰囲気やノリを表現する。カイロなどの大きな都市にはレダやコーメイヤといった舞踊団がいるがそれぞれの地域にもガバメント舞踊団が配置されている。
サィーディーやモアシャットなどその舞踊団オリジナルのものもありリアルダンスとは少々違うということは認識しておこう。馬とサィーディー〜舞踊団のサィーディでは着ぐるみの馬と女性ダンサーの掛け合いを良く目にする。これは当時の馬の様子を現わしている。 ドラムの音を聞くとそれに馬が合わせたように前足をあげたり跳んだり跳ねたりしたのでそれを再現した様子。


ハガーラはベドウィン族のダンスである。
また、ベリーダンス基礎の動きの名前でもあり、リズムの名前でもある。
ここでベドウィン族に少し触れていきたいと思う。
ベドウィン族とは遊牧民のことでラクダや羊を飼い、チーズや綿などで生計を立てている。しかし時代に伴い生活様式も変化しつつある。
昔のままではいられないのが現状で人口が減りラクダからトラックへと交通手段も変化。政府は一定の地で定住するよう政策をはかるなど色々対策を練っている。
またひとくちにベドウィンといっても地域により生活スタイルや政府の取り締まりなどに違いがあり勿論ダンスにおいても変わってくる。
ベドウィン族を大きくわけると(1)シナイ半島のベドウィン (2)西部砂漠 リビアよりのベドウィン (3)東部砂漠のベドウィンの三つにわけることができる。
シナイ半島ではダヘヤと呼ばれダンス、東部砂漠ではベジャーダンス(ベジャー族の勇気あるソードダンス)が踊られている。
そして私たちが一般的によく知るハガーラは西部砂漠のベドウィンによるダンスである。マルサマトゥルハ地域に住むアラウッドアリ部族によって踊られ、レダ舞踊団のファリーダが現地でハガーラムーブメントを教わりショーに取り入れた。
レダとコウメイヤが取り入れる前は誰も興味を持たなかったジャンルである。
またこれらの舞踊団のハガーラはハガーラムーブメントに舞踊団の特色のカラーを取り入れた構成となっている。衣装や雰囲気は同じハガーラでもレダとコウメイヤでは違いがあって興味深い。
のちにナグワフォワードやアザーシャリフがファリーダのハガーラムーブメントを自身のオリエンタルスタイルに取り入れ、世の中にハガーラムーブメントというものが認知された。
このように元はリビアに近いベドウィン族のダンスなのでエジプト人はハガーラをエジプトのダンスではないという認識がある。
まとめるとハガーラは西部砂漠のマルサマトゥルハ地域のアラウッドアリ部族のムーブメントでそれを舞踊団がショーに取り入れ一般的にハガーラというジャンルが出来上がる。
そして有名ダンサーがハガーラムーブメントをオリエンタルでも取り入れたことからムーブメント名としても普及されたのである。

湾岸地域(サウジアラビア、イランのクゥエートなど)で踊られる。
特に肌を出してはいけない地域。
リズムの名前でもあり独特なノリが特徴。
ダンスにおいては肌をドレスで隠すのでお腹の動きというよりは、ステップ、髪、手や顔の表情が軸となる。
ラクダに乗ったときのような揺れ感で髪の毛をつかんでまわしたり降ったりする。完全にリラックスして弛緩しないとできない踊りである。
リズムはハリージーで衣装はハリージードレスを着用する。
ヘッドロールを始終するのでフォークロアであるが頭を布で巻いたりはしない。
ハリージー地域の湾岸はイスラムが強いので基本、男女が混ざって踊ることはないが宗教色の強さにより混ざる場合もある。
サィーディーに続く人気のフォークロア。

花嫁行進曲。エジプトのみの文化。
アラブリズムでもザッファがあり、この時に使用される。
エジプトでは招待状がないためその音を聞いて結婚式があるとわかる。
子供に見に行かせ知ってる人であれば着替えてその行進についていく。
行進はアワリムを先頭に花嫁、友人、家族、ミュージシャンと続く。
ザッファは結婚の一年前から行われ日本の披露宴のイメージに近い。
小さなザッファから始まりザッファ アル アローサと言われる大きなザッファでは父実家から旦那家まで行進する一大イベントがある。
古い年代は伝統を重んじるが現在では簡略化されている。
例えば家〜家ではなくストリート〜ストリート。
また、ホテルの階段を使って短いザッファをする。
ザッファは無垢な女性から大人の女性へと変化していく決意と勇気をあわらす行進であり、今までの感謝とこれからの新しい門出にむかって行進しながら実感していくのである。
日本で例えるとチャペルでのヴァージンロード(レッドカーペット)のような意味がある。
1870年代以降にアワリムが先頭するスタイルが流行したが(シャマダン)、80年代から政府の規制が厳しくなり今は見ることができなくなった。
小道具シャマダンとあわせてお読みください。

ミステリアスなイメージのザー。
ザーとは一体何なのか、紐解いてみよう。
簡潔な言葉で現すと’’女性の為のコミュニティであり女性をハッピーさせる儀式。その儀式はイスラム教のように公式ではなくサブカルチャーであり精神生活の一部。魂の浄化をはかる。”というものである。
ザーという目に見えない魂で死者の魂ではなく今ここにある魂と向き合う。儀式により魂のバランスをとるというもの。詳しく解説してみよう。
ザースピリットは女性のみに入り込むと考えられていてハッと驚いた瞬間や夜道の水のある場所で入りやすいとされている。
またストレスや妬みなどでも引き寄せる。
ザーが入りこむと死にはしないがモヤモヤとした心持ちになりそれを浄化するには心身共にリラックスし平静を保つしかないのだ。
その対処法としてトランスを引き起こすダンス=Zarが根付いた。
トランスを引き起こすダンスはユラユラと揺れる、激しく頭を振るなど様々だが一般的に”まわる、まわす”という行為が早いようだ。
ザートランスのあとは非常にリラックスし脱力状態となる。そしてその後3日間ほど寝込んでザーが抜け切り浄化終了となるのである。
怖いイメージだが実際は楽しいコミュニティの場であるようだ。
魂がとりついたから行く…というよりは買い物ついでにちょっと寄って帰ろう、といった井戸端感覚に近い。
町内に一つの文化サロンとしてパブリック ザーがある。(現在ではほとんどない)
200人ぐらいの女性がひしめき合い話しをしながら和気あいあいとした雰囲気から始まる。
お香が焚かれミュージシャンのユックリしたリズムでゆらゆら揺れ出す客もいる。
決まりはなくただ揺れるだけの者、音楽を聞くだけの者、踊る者など自由である。
儀式に必要な3点〜キャンドル、お香、ミュージック
おおまかな流れ〜お香3回頭の上でまわす→頭から足先まで降ろし3回またいで足から背面を通って再び頭の上で3回まわす→ゆらゆら、思いのままにうごく→ヒーリングタイム→トランスを経験した者はよく眠れ第六感がさえる。
この時に思いついたことを紙に書くとよいとされている。
男性出入り禁止のコミュニティなのでザーは男性にとって未知の世界で刺激的なイメージをもつ。
女性でもエリートはあまり行かず庶民がパブリック ザーに行く。
エリートはディスコなどで気晴らしをするというのでやはり踊って音楽をきいて発散するということが大事なのかもしれない。
このようにザーは私生活に密着にした儀式であり女性の為のサブカルチャーということがわかる。女性は女性特有のホルモンバランスなどで心身が崩れやすい生き物。
都合の悪いことは全てザーに置き換えスッキリさせる方法は非常に理にかなっている、と感じた。

タンヌーラの前に、スーフィーを説明しておこう。
スーフィーとはトルコ、オスマン帝国時代の旋回の舞のことでイスラムの神秘、神との交流をはかる儀式である。
白い帽子は墓石を象徴し、黒いマントは死の直後、身体全体が包まれることを意味する。
黒いマントを脱ぎ、白い服で旋回する様は死後の姿をあらわす。
神に向かって右手のひらを上、左手のひらを下にし、そのエネルギーを大地に返す。
顔の傾きは人により異なる。
ひたすらグルグル回る意味は回ることにより引き起こされるトランスの他、原始細胞や太陽の周り方など壮大な意味がありベースは哲学的である。トルコ人とエジプト人の交流からエジプト人がスーフィーの存在を知る。
そしてエジプトでは宗教的、というよりは大道芸としてパフォーマンスされる。
それがタンヌーラである。
最近はスカートに電飾が施されていたりとエンターテイメント化されている。

スエズ運河ができる前はこの地域は砂漠でベドウィンの居住地だった。
イギリスの戦略もあったがフランスの資金援助などで運河が1869年完成。
建設する労働者はダンスをすることが楽しみで外国人労働者とはダンスでコミュニケーションをとっていた。ダンスは海外色が強く残るが音楽はエジプトカラーが強い。
完成後、労働者は減り波止場で働くバンボテイヤ(荷物運び、値段交渉をする人)が残った。
そんな波止場労働者のストリートダンスがバンブーティである。
スプーンダンスの由来はイスマレイヤ地域ではスプーンを使う習慣はないがヨーロッパからの労働者達がスプーンを使ったのでそこからうまれたのだろうとされている。ここでも舞踊団の活躍が大きい。
レダ舞踊団では男性は実際の踊りをいれつつ編み引きなどわかりやすいジェスチャーを取り入れ、女性にはガニ股でおどることはエレガントでないということから港にちなんでミラーヤレフを踊らせた。
コウメイヤ舞踊団では男女共にガニ股でバンブーティを踊りスプーンを使う。
レダがサィーディーを1番に得意とするのに対し、コウメイヤはバンブーティを1番得意とする。

ヌビア人のルーツはスーダンで昔はカイロに金を運んでいた。
現在はアスワン周辺に定住し同じ国内だが文化もダンスもエジプト人とは異なる。
昔はアスワンより南に住んでいたがダム建設のため移り住んだ。
(ダムによって畑がぬかるみデーツしか栽培できなくなったので男性は出稼ぎに行かなければならなくなった為)
ヌビア人は自分達の文化や仕事に誇りを持っていたがダムにより離散し文化も薄れていった。
一つの村に一つの集落があり特に代表的なのがキンズィーとファディキの集落である。
言語も文化も違う二種のヌビアン族だがお互い尊重しあっている。
政府が統括するダンスグループでは全てヌビアン(人)で構成されたが、一般的に知られるようになったのはやはりレダがショーに取り入れたことが大きい。
湾岸地域の商人がヌビアに行き来していたことからハリージーのステップやフィーリングがヌビアンダンスに色濃く残る。
ジャージャーというワンピースにダウリンネックレス(ヌビアン、ガワージー、サィーディがつけるアクセサリーでお金の変わりにコインをネックレスにし、普段はジャージャーの内側に隠している)を身につけている。

エジプトの文化ではなく近隣国で踊られる男性のラインダンスのこと。
国によって特色があり例えばレバノンに近い地域ではステップにとても特徴がありナイトクラブでは男性客が中心となって輪になり踊る。
ヨルダンではクリスチャンの場合は女性が混ざることもある。
近隣国ではアラブ遊牧民系のチェーンダンスが好んで踊られ民族服で正装した男性達が人の鎖を作り、先頭のリーダーがハンカチなどを振りながらダイナミックに踊る。
ダブカ、ダブケ、ダプケなどと呼ばれる。

アンダルシアの音楽が先にあり、その音楽の中からイメージされた創作ダンス。勿論このジャンルを進化させたのもレダ舞踊団である。
バレエのようなステップ、フラメンコのような強さなど型にはめた感じでよけいなモーションは入れずに踊る。
しかし、優雅なオリエンタルダンスとしてみせるべく工夫が必要で、またフォークロアのように昔からあるわけでもないので全容を理解するにはレダから教わる他ない。
衣装はオリエンタルコスチュームではなくターバン、ハーレムパンツにチョリが良いとされ、披露する場はレストランやクラブではなく舞台で披露したほうが好ましい。
ラクスシャルキは自分をみせる表現力を全面に押し出すがアンダルシーは目線、型などある程度決めて踊るので群舞向きである。アンダルシアの音楽文化について〜
まず、イスラム教を抜きにしてアラブ音楽は語れないということ。
イスラムという厳しい宗教に縛られているにも関わらず音楽とダンスが発展したのはやはり両者深く人間に関わっていて切っても切り離せない娯楽と教養を兼ね備えていたからではないだろうか。
その時代、宮廷には頭の良い科学者、天文学者などが集まり、また音楽家達も彼ら学者が仕えていたことで音楽を楽譜におこすという術を身につけた。
そしてもっとアカデミックな音楽が生まれ、宮廷では素晴らしい音楽と共に世界から集められた美女がダンスを教養として学んだ。
ダンスも音楽もここで更に洗練されたのであった。
そうしていくうちに音楽家達の間で派閥が生じ、一方はアラブへ。
一方はスペインのアンダルシアへと辿りついたのである。
アンダルシアの音楽はどこかノスタルジーを感じさせる。

壁画をイメージした創作ダンス。


魔法にかけられたような恍惚状態を指す。自分の意思でできるものではなく神からの贈り物とされている。
タラブで重要なことはそこにいる全員が共有すること。1人でも共有できないものがいるとタラブは経験できない。
ミュージシャンはタラブをサポートし、ダンサーやシンガーが一体化へと導く。
タラブはトランス状態ではなく催眠術にかかった感覚に近い。
そしてタラブを経験するに欠かせない”スルタナ”の存在。
スルタナとは自分に入り込める人で完全なるアーティストを指す。
スルタナになれない人はタラブも経験できない。
スルタナを経験するための3点として
まずテクニック…基礎への自信。
二つ目に即興力…振り付けからの解放。振り付けはスルタナを遠ざけてしまう。スルタナの境地に入るには頭で考えることはNGである。
三つ目に魂が踊る…魂のままに表現する、ということである。Tarab(神からの恍惚とさせる贈り物)⇔Sultanah(自分自身にある神がかり的な存在)
昨今ではダンスの一つのカテゴリーになりつつある。
しかし、自分自身をタラブダンサーである、などとはいえない。
またタラブを引き起こす楽曲としてミュージシャンであるモハメド アブデル ワッハーブやシンガーのウンム クルスームが代表的である。
特にウンム クルスームは最強のタラブシンガーでありコンサートではタラブを体験したい観客で埋め尽くした。
スルタナの練習としてタクシームが最適で曲はやはりウンム クルスームが良いが彼女自身がスルタナでありタラブなので歌が入っていないほうが望ましい。

ベリーダンスにおけるジプシースタイルは主にスペインの影響を受けたスカートワークやマケドニアなどのバルカン タンバリンの華やかなタイプと、9拍子からなる独特なリズムでステップを踏むターキッシュロマが主流である。
インド ラジャスターンから発祥したジプシーは西へ移動し、それぞれの国で音楽や踊りを披露しながら生計を立てていった。
その背景から国によりジプシーの音楽や踊りは異なってくる。

ミニシンバル。
ベドウィン族が馬の蹄で鳴らしていたことがルーツとされている。
エジプシャンではあまり使用されずターキッシュに多い。
トライバルのシーンではATSのときに使う

サィーディと呼ばれるフォークロアで使用する。
フォークロアのサィーディスタイルでは真っ直ぐの木の棒。
カイロスタイルでは柄の部分が傘のように曲がったものを使う。
サィーディで詳しく触れています。

サミヤ ガマールが手の動きを美しくみせるための練習道具として使われたのがキッカケとされている。
シルクベールは軽くて柔らかいため優雅に流れるように舞うのに適していて、
シフォンはスピードのあるベールテクニックに向いている。

ソードの由来はハッキリしていない。
エジプシャンで使用することはない。
アメリカで流行りの小道具でニューエイジの世界で使用されることが多い。

ルーツは1830年代、ザッファと呼ばれる結婚式の前夜での女子の集いから始まる。
友人たちが花嫁にヘナを施すさいにアワリムが照らす物としてキャンドルを使用した。
のちに照らすだけではなく頭の上にお盆、キャンドルを乗せバランスをとるパフォーマンスとしてアワリムが進化させていった。
またシャマ エル ザッファという花嫁行進ではシャマ(1本のキャンドル)をもった独身女性が参列し、友人たち、家族、ミュージシャンと続きその先頭をアワリムが担った。
そして家についたあとその明かりでご飯を食べたとされている。
結婚式の儀式にはキャンドル(シャマ)は欠かせないものだったのである。ダンスシーンにおいては1940年タヒヤ カリオカが初めてシャマダンをオリエンタルステージに取り入れた。
以降、レダ舞踊団がショーケースに取り入れステージ化される。
動きとしては本来はザッファの場でアワリムがヒップを動かして歩くだけであったが現在はエンターテイメント化されタブラとかけあったりする。
衣装はタルハと呼ばれる頭に巻く布、または垂らす布を着け、ワンピースを着用。
タルハなしであればブラベルトのコスチュームでもOK。ここで興味深い話がある。
本来エジプトではフロアーワークは禁止されている。
しかしシャマダンでのフロアーワークをよく目にする機会がないだろうか?
その昔、ソンバティガワージー達がシャマダンをつけてフロアーワークを披露していた。
シャマダンは神聖で神の意味を持つ。神の前では自由であることからシャマダンをつけるとフロアーワークが許される、というものだそうである。
つまりシャマダンをかぶると神聖化されて何でもできるスーパーアイテムなのである。
このことについてはいささか疑問を感じるがガワージ達が結婚の神聖なる儀式で使用していたことには間違いない。

エジプトで踊られている踊りをわかりやすく5つのテーブルに分類した。
@ローカル、ホームスタイル
(ノンプロで家庭の中で踊られる)Aローカル、プロフェッショナル
(地域のプロ集団。地域に根付いたダンスをする)B政府統括グループ
(エジプトは27の区域にわかれておりそれぞれに一つの政府、一つのダンスプロ集団が所属している。
カイロに根付いているのであまり民族性はない)C国家グループ~民族舞踊に特化し斬新なアイデアでショーを展開。
彼らの活動によりフォークロアが世界に知られるようになった。
●レダ…エジプシャンフィーリングの遺伝子を持つ舞踊団
●コーメイヤ…エジプト政府がロシアに民族舞踊団を作るよう依頼。
所有はエジプトだがプロデュースはロシアなのでバレエ要素が色濃い。
このように同じエジプト民族舞踊団だが演目一つとっても衣装やダンスのニュアンスは変わってくる。
それは各舞踊団の知識、ダンスの探索の仕方の違いや好みとするイメージ、雰囲気が違うからである。(レダはそもそもエジプト人、コーメイヤはロシアというバックグラウンドの違い)
レダ舞踊団に在籍、または元在籍ダンサーのワークショップを受けれる機会が多いのでベリーダンサーはレダ式を教わっている率が高い。Dカイロのオリエンタル
1〜4とは関係なく全く新しいもの。オリエンタルはカイロのみ。
カイロ女性(アワリム)のホームスタイルの踊りがオリエンタルの地盤とされている。
バディアマサブニという女性がカイロにダンスと音楽が楽しめるシアターを作った。ベリーダンス(ラクスシャルキ)といわれるダンスはここから始まる。
ミュージシャンの育成にも目を見張るものがありファリド アル アトラシュやウンム クルスームなどもこのシアターで力をつけた。
ダンサーとして育てあけだタヒヤ カリオカ、サミア ガマール、ナイマ アケフは黄金三大スターと呼ばれ、当時真新しかったハリウッドムービーに抜擢され世界にオリエンタルダンスの存在を知らしめた。
それまではアワリムのホームスタイルのダンスであったがハリウッド映画により認知と共に洗練されたダンスへと磨かれ変化していく。
その後、モダンベリーダンス前期の到来がくる。代表的なダンサーはスヘイラ ザキ、フィフィ アブドゥ、ナグワ フォワードなどでこの頃は洗練さだけではなく個性も求められる時代に。
そしてモダンベリーダンスの後期にはディーナが登場し現在に至るのである。

現代のドラムソロは1960年代後半にナグワ フォワードがショーの演目に取り入れたことから始まる。
CDでは振り付け、群舞で楽しめるが本来はドラマーとの即興である。
ドラムソロ即興はショーで特に盛り上がり観客と演者の緊張感がより刺激的なエッセンスとなる。
必要となるのは的確なムーブメント基礎力とリズム知識である。
数千種ある中東リズムから少なくともよく使われる30種は覚えておきたい。
リズムを知るとオリエンタル楽曲にも強くなるのでこれは必修である。
ドラムソロは”ダンサーとドラマーによる化学反応でありコミュニケーションである”と名だたるドラマー イッサム氏が語ってます。〜Yukimiとドラマー牧瀬氏による即興ドラムソロレッスンのガイドライン〜
@DとTの音を明確に視覚化する。
-ロール
-間
A各リズムが持つ特性やフィーリングにあった動き
B中盤のロール(ハイライトシーン)
Cフレーズ(回数を決める)
-1回目ダンサーはその音を捉える
-2回目そのフレーズにあった動き
-3回目自信をもってもう一度
-4回目完璧におどり次のフレーズに耳を傾ける準備
Dキメポーズ
フレーズの引き出し(ストック)を増やす〜
ワークショップドラムソロ振り付けのほとんどがフレーズの塊です。
気に入ったフレーズはどんどん練習してストックしましょう。
ドラマーとのコミュニケーションではアイコンタクトを取りながら”ダンサーにリードさせる”
”ドラマーがリードを取り戻す”といった双方の関係性が重要といえます。

サンフランシスコで生まれたベリーダンススタイル
元来はジャミーラサリンポーがアラブの民族舞踊を模倣して踊り出したことが発祥とされており、それをさらにキャロリーナネリッキオがフォーマット化したFCBD®が確立され、トライバルという言葉が広まったとされている。サリンポーフォーマットやFCBD®のポスチャーやステップと、オリエンタルをフュージョンしたベリーダンススタイル。
(現在は「トライバル」という言葉を使わず、各ダンサーが更に他ジャンルのダンスをフュージョンさせ、各々のスタイルに合わせた名称で呼ぶ傾向にあります。)


1980年代後半、サンフランシスコにてFatChanceBellyDance®の代表 Carolena Nericcio によって考案されたベリーダンスのスタイル。
伝統的なベリーダンスに加え、インド北部やアフリカ北部、スペインのフラメンコなど、さまざまな土地の民族舞踊を融合させ、現代的にアレンジしたボキャブラリー(動き)で踊る即興群舞。

Amy Sigilによって2006年に考案されたトライバルフュージョンのスタイル。
FCBD®styleから即興群舞の影響を多く受け、ベリーダンス、サリンポーフォーマット、フラダンスやストリートダンスの要素を融合させた即興群舞で踊るフュージョンスタイル。


















